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屋外ライブ

久留米
「戦争遺跡」

池の谷自治会

自己紹介
活動記録

こんにちは

福岡県久留米市野中町にある池の谷自治会です。久留米市民活動・絆づくり推進事業を活用しながら「戦争遺跡を(防犯上)明るいイメージに改善するとりくみ」をしています。ただ老朽化も進み、当時の建設に関わった方々の情報などあまりありませんので学習会、戦跡めぐり、音楽会を開くことで多くの方にこの場所を知ってもらい当時の情報収集とともに、保存の方法を模索しています。当時の情報を知ってる方がいましたら、下記の問い合わせより連絡ください。

池の谷自治会

活動記録

(池の谷 森の音楽会)
(説明・道案内板設置、戦跡めぐり)
(新聞社、TV局 取材)

<2018年度>

・戦争遺跡側に説明板を設置

・戦争遺跡の学習会(出前講座)

・戦跡めぐり(出前講座)

・西日本新聞社取材

<2019年度>

・戦跡めぐり(出前講座)

・戦争遺跡の入口に道案内板を設置

・戦争遺跡の学習会(出前講座)

・西日本新聞社取材

池の谷 森の音楽会

<2020年度>

・戦争遺跡の学習会(出前講座)

・西日本新聞社取材

<2021年度>

・池の谷音楽会(円形野外講堂)

  久留米市文化財保護課(出前講座)

  COOL M.B、ハッチャリーズ 

  池の谷子どもたち

・戦争遺跡の学習会

・西日本新聞社取材

・読売新聞社取材

・テレビ局RKB取材

  https://rkb.jp/article/42429/(RKBオンライン)

<2022年度>

・池の谷音楽会(忠霊塔)

  久留米市文財保護課(出前講座)

  COOL M.B、ハッチャリーズ 

  池の谷子どもたち

・西日本新聞社取材

・読売新聞社取材

第2回 池の谷 森の音楽会(前編)

第2回 池の谷 森の音楽会(後編)

戦争遺跡

戦争遺跡のご紹介

忠霊塔

忠霊塔

 高さ 17 m、幅 3 mの徳山産の花崗岩で組まれており、昭和14 年 7 月の着工から 2 年 9 ヶ月の歳月と 25 万円 ( 現在の 4 億6 千万円相当※ ) の巨費、そして延べ 11 万 2 千名の勤労奉仕により完成しました。主に筑後地方および佐賀の一市六郡から動員され、奉仕の証として自治会名を記した幟を立てて撮られた記念写真などが残っています。
 塔の内部には九州各県より集った旧久留米市団管区関係戦没陸海空軍人軍属の英霊 5 千 48 柱の分骨を祀り、納骨所に安置されています。

※「軍の記憶」( 久留米市教育委員会 ) の 2015 年現在に換算した数字を基準に、消費者物価指数 ( 持家の帰属家賃を除く総合 ) を用いて 2021 年の値を算出。

円形野外講堂
円形野外講堂

 直径 22 mで 500 人を収容する規模の施設です。舞台を中心に 100 度以上の広角で座席が同心円状に配置されていることから、円形講堂とも呼ばれています。
 扇状のステージと自然の地形を利用したすり鉢状の斜面内にそれを取り囲むように同心円の階段状につくられた観客席は、古代ギリシアやローマのヘレニズム期以降にみられるオルケストラの特徴に合致するなど、昭和前期のこのような遺構は類例がなく極めて貴重なものです。

※ 保護のため現在は立ち入り禁止となっています。

遥拝台
遥拝台

 赤レンガを積み上げて造られた裾広がりの円柱状の塔で、内部の螺旋階段を登ると屋上中央に 「宮城遥拝」 と記された遥拝塔が
設置され、皇居に向かって参拝をしていたとされています。
 高さおよそ 5m とさほど高さはなく木々に囲まれ眺望は決して開けてはいませんが、戦後しばらくは周囲の木々も今よりずっと低かったようで、昭和 28 年の筑後川洪水では水没した市内をここから一望できたそうです。手旗信号の訓練をしていたという証言もあり、建立当時は皇居に通じる「空」を見て遥拝をしていたと思われます。

参考文献・出典 等
「歴史散歩」No.23 ( 久留米市教育委員会 2019)、「軍の記憶」( 久留米市教育委員会 2005)、久留米市文化財調査報告書 第 202 集「円形野外講堂」( 古賀正美 久留米市教育委員会 2004.3)、「過去の貨幣価値の調べ方」リサーチナビ ( 国会図書館 科学技術・経済情報室 )、「消費者物価指数」( 日本銀行調査統計局、総務省統計局 )、世界大百科事典 第二版 ( 平凡社 1998)、「古代ギリシャの野外劇場」( 絶対旅行 2020)、他 地元の高齢者の方々からの証言等

お問い合わせ

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